ぼくの持ち主は絵を描きます。
なぜというと
それが持ち主の表現手段だからです。
文章で言葉をつづったり
音楽を奏でたりするかわりに
持ち主は絵を描くのです。
けれども
例えば「好き」を絵で表現しても
なかなか相手に伝わりません。
やっかいなことです。
どうしたって、言葉のたすけが必要になります。
けれども、ぼくはふと思ったのです。
もしも、完璧だと思っていた言葉が、それほど優秀ではなく
絵画で表現するくらいあいまいにしか、相手に伝わらなかったとしたら?
それに気付いたから、ぼくの持ち主は絵を描くのでしょうか?
可愛い桜、淡い色。
この光刺激が網膜に光影をつくり、視神経を伝わり、なんやかんや経由して脳のどこかで像を結ぶ。天文学的多数のシナプス結合組合せパタンが最後に生んだ像。同じ桜をいっしょに見ても、自分と同じ像を心に結ぶ人は一人すらいないはず、たとえ互いに脳の近似部位が活性化していても。なのに、他の人にもきっと同じように見えているハズ、という期待を前提に全てのコミュニケーションが成り立つ。
さて、ここにある「好き」、いったいどうして正しく伝えられよう。
なんかせつない気持ちになりました”(ノ_<。)
危ぶむなかれ。
師曰く、
腰を低く落とし、丹田に力を込め、拳を握り締め、
「お前が好きだー!」
「お前のためなら氏ねるー!」
と叫べば伝わるのだそうです。
ぼく、思考するしろくまなんです。