しろくま、哲学する

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ぼくの持ち主は絵を描きます。

なぜというと

それが持ち主の表現手段だからです。

文章で言葉をつづったり

音楽を奏でたりするかわりに

持ち主は絵を描くのです。

けれども

例えば「好き」を絵で表現しても

なかなか相手に伝わりません。

やっかいなことです。

どうしたって、言葉のたすけが必要になります。

けれども、ぼくはふと思ったのです。

もしも、完璧だと思っていた言葉が、それほど優秀ではなく

絵画で表現するくらいあいまいにしか、相手に伝わらなかったとしたら?

それに気付いたから、ぼくの持ち主は絵を描くのでしょうか?

しろくま、哲学する」への4件のフィードバック

  1. それに気付いたから、ぼくは変態なのでしょうか?

    可愛い桜、淡い色。
    この光刺激が網膜に光影をつくり、視神経を伝わり、なんやかんや経由して脳のどこかで像を結ぶ。天文学的多数のシナプス結合組合せパタンが最後に生んだ像。同じ桜をいっしょに見ても、自分と同じ像を心に結ぶ人は一人すらいないはず、たとえ互いに脳の近似部位が活性化していても。なのに、他の人にもきっと同じように見えているハズ、という期待を前提に全てのコミュニケーションが成り立つ。
    さて、ここにある「好き」、いったいどうして正しく伝えられよう。

    返信
  2. そうだ人類は今までもそうしてきたんだ。

    危ぶむなかれ。
    師曰く、
    腰を低く落とし、丹田に力を込め、拳を握り締め、
    「お前が好きだー!」
    「お前のためなら氏ねるー!」
    と叫べば伝わるのだそうです。

    返信

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